大正八年十月改正の上野長野間列車時刻表です。この当時、古河の配下だった足尾線は鉄道院(のちに鉄道省・のちに国鉄)配下になり、昭和一けた台に開通した上越線の、影も形もありません。両毛線の「気=気動車」って蒸気動車だったのでしょうか。北陸線経由の京都行や、明石行も物凄い時間がかかったのではないかなと思います。あと、飯田町発って・・・「今のJR貨物の建物がある」あそこでしょうか?調べましたら、大正12年の関東大震災の際に牛込駅と飯田町駅は飯田橋駅に統合されたようですね。
あと、山手線は大正八年三月一日に中央線の東京駅と万世橋駅を開業し「の」の字運転を始めたそうです。 ですから、神田駅と上野駅は開通していませんでした。その後大正十五年に神田上野間が開業し環状運転となりました。