報知家庭暦は当時の報知新聞の付録だったそうです。
「大正七年一月二日一萬四千六百七十七号付録」とありますので、そうなんでしょうね。
さて、この中身はさておいて。「ホーカー液」「ホーカー白粉(おしろい)」って??
調べましたら、東京神田和泉橋・堀越嘉太郎商店の「堀越の”ホ”」と「嘉太郎の”カ”」を取って、商品名にしたそうです。
ここの化粧品会社・・・その後が分からないんですよね・・・。
ポーラなどの年鑑を調べても不明。時は大正七年・・あの関東大震災まで五年ですよね・・・。
さてその横の「効力五倍以上のクラブ歯磨」、私はこの小冊子を手にするまで知らなかったのですが、
大阪のクラブコスメチックなんです。この松の木は、、どこの物なんでしょうね。
この巻末には「花王石鹸」の広告も出ていまして。
何故長瀬商店なのか・・・花王の創業者の広告みたいですね。
わたしは、カネボウ(旧鐘ヶ淵紡績)の化粧品を使ってまして・・。⇒
カネボウ破たん後は、化粧品部門は花王に・・鐘紡の会社自体は今はありませんケド。
この報知家庭暦では、現在で言う「デパート」の広告も出ています。
日本橋白木屋呉服店とは、現在の東急百貨店系列です。
東急日本橋店が閉店したことも記憶に新しいでしょう。
またこちらの三越呉服店(恐らく現在の日本橋三越本店)
この呉服店は昭和3年に「三越」となっているようです。
最後は日本郵船株式会社。
欧州行き、北米行き、南米行き、豪州行き、印度行き、中国行
何時間かかったのでしょうね。
因みに、前出の時刻表と、報知家庭暦二つで参百円ほどでした。