大垣夜行現在のムーンライトながらですが、昔は大阪行きで、この列車の歴史は古く戦前からあったそうです。その後1968年までに1往復となりました。当時の国鉄はこの列車を廃止にするつもりでした。ですが、当時廃止反対の要望や手紙などが国鉄本社に多く届き、電車を使用して存続させました。その後岐阜県の大垣駅まで短縮し、普通夜行列車として残っていました。同じような形態の夜行列車は「新宮夜行」「中央線山岳夜行」などありましたが。そののち使用車両も153系から165系にうつり、急行東海の廃止とともに、快速ムーンライトながらに移り変わるのでした。


浜松駅に停車する9375M:167系と375M:165系、375Mを追い抜く。
1992年8月10日 浜松駅撮影
 1992年8月9日わたしは一冊の時刻表と青春18きっぷと少しのお金を持って、旅に出ました。当時「大垣夜行」と呼ばれていた列車です。
左は臨時大垣夜行「9375M」右が定期便「375M」です。375Mは165系グリーン車付、9375Mは167系すべて自由席でした。

Nゲージ 165系 EF58系

デジタルカメラ キャノン


 1992年8月10日 浜松駅撮影 正直、このまま四国まで行けるのかと「ドキドキ」でした。ここ浜松では、1時間近く停車。確か、駅前に「コンビニ」があり、買い出しに行っていました。(上りでは静岡駅で「駅弁屋さん」が売りに来ていましたね。)もはや、懐かしい光景です。

写真は167系H19編成の角形ヘッドライトです。   1992年8月10日 浜松駅撮影


こちらは165系定期の大垣夜行です。 当時はこんな光景が当たり前だったんですね。

1992年8月10日 浜松駅撮影
  この写真の一部が「時空旅人 日本を支えた鉄道の歴史」P46に取り上げられました。
興味のある方は探してみてみてください。(著作権は放棄しておりませんので。)