営団地下鉄はもともと民間の地下鉄運営会社でした。
東京地下鉄道と東京高速鉄道の2社が現在の銀座線にあたる路線を運営していましたが、折しも昭和10年代、
世の中の流れで会社の統廃合があり、東京地下鉄道などもその流れは免れませんでした。
その2社を統合し…名前が付いたのが営団いわいる帝都高速度交通営団でした。
まだその頃は丸ノ内線は開業しておらず銀座線もただの「地下鉄」という呼び名だったとか。
「交通営団」と一部表記してありますが、当時世の中の流れで、「食料営団」や「住宅営団」などが
あったと聞いております。戦後交通営団以外は解散し、公団などに変わった。
丸ノ内線向けに開発され、増備されてきた車両がこの500形です。
赤い車体と正弦波の銀色の波模様が懐かしいです。
私が幼いころ銀座線と丸ノ内線に乗車する機会がありましたが、銀座線は車内の照明が消えるのがやってくる
(デットセクションに入るだけですが)のが恐ろしく、丸ノ内線は消えてもほんの一瞬だけでしたね、
子供心に丸ノ内線が好きでした。

車号576番 廃車1992年  開襟シャツが懐かしい。

 四ツ谷駅で撮影 1989年ころ撮影 機材不明 撮影者:東雲ゆうこ

こちらは584番窓が原型ですね。隣には中間改造、300形326番が見えますね。

この車両が、アルゼンチンの地下鉄へ渡り、まさかまた日本の元の場所に戻ってこようとは、この時思いもしなかったです。

  四ツ谷駅で撮影 1989年ころ撮影 機材不明 撮影者:東雲ゆうこ