もともと小田急の始まりは。利光鶴松の経営する鬼怒川水力だった。やがて、大正の時代に東京高速鉄道を画策し、開業させようとするも断念、昭和2年に小田原急行電鉄株式会社を開業させる。当時の経営はかなり厳しかったらしい。そののち帝都電鉄(今の井の頭線)を開業のちに合併する。鬼怒川水力は日本発送電に統合されることとなり、再起を図ったものの日中戦争勃発のため失敗に終わり、東横電鉄に合併されるそののちの大東急である。(小田急というのはまだ通称だった。)戦後、大東急はそれぞれ分離されたのだが、井の頭線は京王帝都電鉄の所属となった。戦後分離した時に小田急電鉄となり今に至ります。
小田原急行201形は小田原急行江ノ島線の開業時の増備車両。戦後小田急となった時(大東急は分社された)デハ1400形となる。その後HB車は機器を譲り大型の4000形(初代)となる。
小田急デハ1400形 (廃車後経堂駅わきの研修用として使われていたその後海老名で解体を待つ)
小田急デハ1400形→新潟交通
4000形(初代)
小田原急行元モハ1形、小田原急行昭和2年全線開業の際に導入された車両。乙号車の名を持つ。
モハ1形
小田急デハ1100→相鉄モハ1000→日立電鉄モハ1000
小田急デハ1100→相鉄モハ1000→日立電鉄モハ1000
モハ1005
モハ1004 2両目のノーシルヘッダーの車両はモハ1002 隣に元営団2000形がみえる。引退まじかのすがた。
モハ1001
モハ1形は小田急→相鉄→日立とやってきたので、かなり改造されている。
最晩年の姿だったようです。ワンマン運転非対応の4連でした。
デハ1300形
今残っているのは・・・
小田急モハ1→デハ1100→熊本電鉄モハ302→モハ1(保存)のみ。
あとは茨城県と千葉県にボデーが残っているらしいですが、よくわからないです。