こちらは4050型に似ていますが5200型です。いわいる小田急顔 こちらが旧4000型です。冷房装置がないのがわかりますよね。 小田急4000型は旧型車両の主電動機等を再利用し、新車名義で 当時の2600型と同等の車体を用い、整備された車両です。 しかし、非冷房であ […]
小田急では前から「各停本厚木どまり」とかいろいろありましたが、 17:27の各駅停車伊勢原(代々木上原から急行伊勢原) 17:36の各駅停車本厚木(代々木上原から各停本厚木) これ、、常磐線からメトロ千代田線経由小田急線直通なんですよね。 伊勢原行きを逃すと、、次は本厚木行き。 […]
今では代々木上原から向ヶ丘遊園まで複々線化され急行も10両運転されましたが、1987年当時は前6両が急行小田原もしくは箱根湯本行き、後ろ4両は急行片瀬江ノ島行きとなっていました。相模大野で分割または併合で、朝ラッシュ帯は本厚木から10両運転となっていました。のちに海老名から増結、 […]
小田急5200系は昭和52年ごろから製造されました。5000系の6連車として登場し久しく小田原線の急行運用についていました。 この写真を撮ったころはもうすでに、5200系も4両編成として運用につき最後の運転に近いころでした。 凄く素敵なスタイルだった。 最後の写真を […]
SSE3000系が大野工場で、解体されていました。 こちらは保存予定のだったのでしょうか。不明です。 FM系2200系やデキ・貨車(ワラ)も見えますが・・・。
唐木田に到着した3000系 サイドボード 横顔 この列車だけ「連絡急行」でした。 祝賀ムードですね。RSE20000系の登場とともに沼津乗り入れをしたんですよね。 RSE20000系が多摩センターを通過していきます。 イベント終了後3000系が最後の力走を見せました。
この写真は1983年ごろでしょうか、現在高架化されている、愛甲石田-伊勢原間の歌川橋梁付近で 撮影したものです。 左 NSE3100系はこね 右SSE3000系試運転 3100NSEの旧式サイドボードが懐かしいです。 7000系LSEは当時最新鋭でした。 SSE重連 この頃はさ […]
小田急旧4000系はHB車ABF車(1300形-2100形)を大型化するために製造された車両です。ただし更新名義ではないようです。2600形NHE車(ニューハイエコノミー車)の車体とほぼ同じでした。この系列も昭和末期までに、「旧性能であること」「冷房化できない」ことを理由に今度は […]
もともと小田急の始まりは。利光鶴松の経営する鬼怒川水力だった。やがて、大正の時代に東京高速鉄道を画策し、開業させようとするも断念、昭和2年に小田原急行電鉄株式会社を開業させる。当時の経営はかなり厳しかったらしい。そののち帝都電鉄(今の井の頭線)を開業のちに合併する。鬼怒川水力は日 […]
小田急5200系は5000系の6連車として登場し、「5200系」というのは「俗称」でしたが、 ・5000系とは窓の形が違う。 ・製造された時期が違う。 ・6連である(晩年4連化されたのもいたが) ということで、通称5000系6連車は5200系と呼ばれていました。この車両2600系 […]
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