鹿島鉄道はJR石岡駅から新高浜・玉造をへて鉾田を結んでいた路線。鹿島臨海鉄道とは資本的にも何も関係もなく、新鉾田の駅とも離れていた。
(実際に歩いたがかなり時間がかかった。)
鹿島鉄道と関東鉄道の関係を語ると少し複雑らしい。

鹿島参宮鉄道は戦時統合のために「鹿島参宮鉄道」へ「竜崎鉄道」が併合常総筑波鉄道は戦時統合のために「常総鉄道」と「筑波鉄道」が合併

昭和39年頃になると京成電鉄が筆頭株主になり、昭和40年に鹿島参宮鉄道と常総筑波鉄道は合併し「関東鉄道(常総線・竜ヶ崎線・筑波線・鉾田線)」となる。
その後、昭和54年に関東鉄道から鉾田線と筑波線はそれぞれ分社され、鹿島鉄道と筑波鉄道となり、関東鉄道は自動車と常総線竜ヶ崎線となった。
2005年に首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)開業により、高速バス筑波線の営業利益の減少、常総線輸送人員の減少も伴い、鹿島鉄道の廃止を表明し廃止に至った。鹿島鉄道廃止後は関鉄バスが代替バスを運行している。その後一部BRT化されている。

茨城県石岡市石岡機関区内 2002年9月14日撮影 Canon PowerShot A20 撮影者:東雲ゆうこ


国鉄キハ42000形のうち、601が42032で602が42036なの。何が凄いのって?601が1935年製602が1936年製。
1935年って昭和10年じゃないですか。キハ42000形って、気が付きませんでしたか?ガソリン気動車だったんです。62両いたのね。
えぇ西成線脱線事故のね・・・・・。キハ42000形3両が昭和15年今のJR西日本桜井線安治川口駅構内で脱線炎上し死者189名、負傷者69名を出す日本の鉄道史上最悪の死者を出した車両でもあるの。そんなこんなだったんですけど、GMH17エンジン(ガソリンエンジン)だったのです。
その後戦争に突入、10両が行方不明になり、戦災でいなくなったものも含めると・・・。たくさん。そのうち、また天然ガスで動かされたりして、新潟や千葉に散らばっていったの。1950年にね。(新潟は石油が、千葉は天然ガスが湧くので。)その時改名されてキハ42200形になった。
601:42032=42205 602:42036=42207
1951年には国鉄の手であの「DMH17」エンジン(今の鉄道用ディーゼルエンジンの元祖)が、開発され、実験台にされました。
キハ42500形1952年以降にその時また名前が変わって、
601:42032=42205=42528
602:42036=42207=42531
まだこの時まではマニュアルトランスミッションだった。えっ?機械式?そう、だけどまた改造されて名前が変わる。そう、
液体式トランスミッションTC-2の誕生により、改番され「キハ07形」となります。 
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   茨城県  2002年9月14日撮影 Canon PowerShot A20 撮影者:東雲ゆうこ

許可を得て撮影 602:42036=42207=42531=0732
 茨城県石岡市石岡機関区内 2005年10月27日撮影 Canon PowerShot A20 撮影者:東雲ゆうこ

許可を得て撮影  茨城県石岡市石岡機関区内 2005年10月27日撮影 Canon PowerShot A20 撮影者:東雲ゆうこ

許可を得て撮影   茨城県石岡市石岡機関区内 2005年10月27日撮影 Canon PowerShot A20 撮影者:東雲ゆうこ
DMH17エンジン

キハ601は2008年に鉾田駅構内で動態保存その後2009年クリスマスにほっとぱーく鉾田で動態保存
キハ601は最長71年生き延びて、日本最高齢で引退となりました。
(キハ07の末裔)