もともと、会津鉄道は旧国鉄が会津線として敷設し、野岩線は鉄建公団が建設し構造物はほぼ出来上がっていたところで、国鉄の経営不振の影響で凍結となり悲願の鉄道とまで言われていました。もともとは旧国鉄でしたので国鉄日光線にいたる予定だったそうですが。第3セクター方式で運営が行われることとなり「野岩鉄道・会津鉄道」が開業しました。特に驚いたのが、「福島県に東武快速電車で直結していること」です。しかも直流電化方式ですし。その後会津鉄道が会津田島-会津高原間を電化しそこまで乗り入れるのでした。この写真は、1987年7月16日ごろの会津鉄道転換の時の写真です。物凄くにぎわっていた記憶があります。家族で尾瀬に行った帰りに寄ったんだと思いますね。野岩鉄道は1986年10月9日開業とありま。

AT-200形と東武6050系が止まっています 1987年7月16日ごろ会津高原

 AT-200形と東武6050系が止まっています 1987年7月16日ごろ会津高原
  右側に見える廃車体はジャパンでしょうか。