クモハ84形は、クモニ83形のうち保留車としてJR西日本が 引き継いだものであります。 JR西日本は、、1988年に旅客用に改造してしまいました。 本四備讃線開業後の茶屋町-宇野間の折り返しなどに使用され 1996年に廃車となった。 この車両はもともと72・73系←63系でした。 […]
もうこの光景は見納めとなってしまいました。 キハ37は国鉄キハ40系の反省点を生かして作られた車両でしたが、量産はされることなく、0番台の2両と1000番台の3両で生産は中止された。 0番台 キハ37 1(新潟鐵工:姫路第一機関区)2(富士重工:木更津支区) 1000番台 キハ3 […]
この関東鉄道常総線のキハ100形101号車は元国鉄キハ30形を改造した車両でした。(現在は運行もしていません。関東鉄道にもおりません。)なにか違和感を感じていました。なんだかのっぺりしているなぁと、見比べたらわかりまして。 関東鉄道常総線キハ101号車(元国鉄キハ30形) こちら […]
大垣夜行現在のムーンライトながらですが、昔は大阪行きで、この列車の歴史は古く戦前からあったそうです。その後1968年までに1往復となりました。当時の国鉄はこの列車を廃止にするつもりでした。ですが、当時廃止反対の要望や手紙などが国鉄本社に多く届き、電車を使用して存続させました。その […]
50系客車は国鉄が1977年から設計製造された一般形客車です。 別名レッドトレインとも言われていました。車内の構造は セミクロスシートでデッキがありというものでした。 ただこの以前の(12系一般形を除く)旧形客車はドアが手動でした。 ただ残念なことにこの客車は「冷房がない」という […]
相鉄6000系は旧6000系と新6000系とに区分され、走行機器も車体も大きく違うものとなりました。新6000系は1970年から1974年まで70両が製造されました。旧6000系とは車体構造は大きく変わり、片側4つドアの両開きで窓配置も大きく変わりました。車体は限界まで大きく取ら […]
鹿島鉄道はJR石岡駅から新高浜・玉造をへて鉾田を結んでいた路線。鹿島臨海鉄道とは資本的にも何も関係もなく、新鉾田の駅とも離れていた。 (実際に歩いたがかなり時間がかかった。) 鹿島鉄道と関東鉄道の関係を語ると少し複雑らしい。 鹿島参宮鉄道は戦時統合のために「鹿島参宮鉄道」へ「竜崎 […]
山手に久しぶりの新型車”E231系”が投入された頃の映像です。 E231系は209系500番台の発展版で、このころ総武各駅停車の車両内の分電盤付近で旅客がけがをする事故があり、それまで103系をVVVF化するか東日本は検討していたようです。が、方針転換をし老朽化した103系を置き […]
まだまだ、205系活躍していたころですが、徐々にE231系が投入され始めていました。その頃の風景です。 205系電車は国鉄末期に新型通勤電車車両として設計されました。それまで201系電車や203系電車が新製投入されていましたが、電機子チョッパ制御であるがゆえに製造価格が高く当時の […]
205系6扉車は増え続ける朝ラッシュの旅客輸送時の遅延混雑緩和のために開発されました。しかし元々は京浜急行の700系(18m車で4ドア)や京阪電車の5000系(18mで5ドア)など先駆的な車両がいたおかげで制作できたんじゃないかなと、筆者は思っています。やはり京急700系は短距離 […]
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